多賀神社について
主祭神
伊邪那岐大神
伊邪那美大神
神代の昔に、初めて夫婦の道を開かれ、日本の国土と、山川草木の神々を始めとする八百万の神々をお産みになられた、
多賀の二柱の大神様は、「延命長寿・縁結び・厄除け」の霊験あらたかな御夫婦神として、古来より皇室や有力武将を始め、広く民衆に至るまで、幅広い信仰を集め、尊崇を寄せられております。
相殿祭神(旧山鼻神社御祭神)
耳早立雄之大神
馬の神であり、交通安全の神です。馬匹と騎手の安全と育生の守り神で、山鼻屯田兵の守護神として崇敬されてきました。
大山祇大神
山の神であり、藻岩山のふもとに広がる山鼻の里の守り神です。
天照大御神
神々の世界である高天原を治める太陽の女神であり、日本人の総氏神とされる高貴神です。
御由緒
多賀神社は、昭和24年に滋賀県の多賀大社より御分霊をお招きし、札幌護國神社の境内社として御鎮座いたしました。
昭和46年には、旧山鼻屯田兵村の氏神神社であり、山鼻地区の守り神である山鼻神社の四柱の御祭神を、多賀神社の相殿にお迎えして合祀いたしました。
令和元年には御鎮座より七十周年を迎えました。
- 明治8年 10月
- 山鼻地区に屯田兵屋の建設開始
- 明治9年 2月
- 山鼻神社として石祠を設けて土地神を祀る(山鼻神社碑)
- 明治9年 5月
- 山鼻屯田兵村開設
- 明治23年 5月
- 南二二条西一三丁目の地に社殿を建立し、耳早立雄之大神を御奉斎する(山鼻神社の御鎮座)
- 明治23年 9月
- 土地神として大山祇大神を山鼻神社に合祀する
- 明治35年
- 学問奨励の為に天満宮大神を山鼻神社に合祀する
- 昭和4年
- 南一八条西一三丁目二番地に新社殿を建立し、御遷座となる
- 昭和21年 8月
- 国鉄苗穂工機部にて祀られていた天照大御神を山鼻神社内に御遷座して合祀する
- 昭和24年 9月
- 札幌護國神社境内に多賀殿を造営し、多賀大社より御分霊をお迎えし、多賀殿に御奉斎する(多賀神社の御鎮座)
- 昭和46年 5月
- 山鼻神社の御神霊を多賀神社の相殿に御遷座し、多賀神社に合祀する
- 昭和48年 6月
- 多賀神社鳥居建立
- 平成26年 9月
- 多賀神社御鎮座六十五周年記念祭御斎行
御神紋
第一神紋
三つ葉柏紋
第二神紋
左三つ巴紋
第三神紋(山鼻神社)
八つ柏菱紋
多賀神社では柏の御紋を御神紋として多く用いております。
明治14年の明治天皇の山鼻屯田兵村への行幸の際、現在の山鼻小学校において御休息をとられた折に、休息所の窓から見える青々と生い茂った柏の木をご覧になった明治天皇は、その木にお心を留められて、それがどのような木であるのかを、屯田兵村の代表に熱心に御下問になりました。
以来、その話題になった柏の木には「御声掛かりの柏の木」との名前が付けられ、柏は山鼻地区のシンボルとして、学校名などにも用いられ、大切にされてきました。
また、柏の葉は古来より神々への供物を載せる祭器として用いられ、柏紋は神社のシンボルとして、多くの神社や神職の紋章として用いられてまいりました。
なお、三つ葉柏紋と左三つ巴紋は御本社である滋賀県の多賀大社においても、御神紋として用いられております。